静岡県静岡市にある臨済宗妙心寺派の「大小山 慶雲寺」では、永代供養も行っております。
そもそも当寺の由緒は、孤峰山福泉寺と號し、武田氏等の兵火に逢い、
ただ小堂と五輪の石碑のみ存していた。当時、寺の東側近くは波打ち際であった。
たまたま、開山月桂禅師が一宿し、翌朝、諷経後、緑端に座して伊豆の山岳と駿河湾の風光を眺望していると、
堂前に大小二つの雲気が現れ、是れ有縁の霊地なりと深く感じて遂に三宇(本堂・庫裡・書院)を創建した。
この因縁により大小山慶雲寺と改称、時に天文元年(西暦1532年)4月11日のことであった。
福泉寺より五丈八寸、重量200匁の古銅楊柳観音大士が什宝として伝わった。
宝永の震災(宝永4年・1707年)に遭い堂宇全壊するが、再建。
天明・安政の震災でも、全壊・類焼に遭うが、嘉永3年(1850年)に山門、
慶応3年(1867年)本堂・庫裡、明治元年(1868年)に六地蔵堂を建立する。
明治22年(1889年)第15世祖栢老師は、寺内に門下生1000名を越える私塾を興し、大学、中庸、
論語、仏教学を教える。
明治31年(1898年)庚申堂を改築し観音菩薩を合祠。
その後、太平洋戦争により全焼。現在の本堂、庫裡は昭和47年(1972年)に建立。
当山は永らく『赤門の寺』として広く親しまれてきたが、これらは嘉永3年
(1850年)仁王像をまつり、朱色で塗られた山門の建立に由来する。
平成5年(1993年)、江戸末期の建立以来、赤門と呼ばれてきた山門を34年ぶりに再建した。
同山門の落慶式が開かれ、檀家や信徒220人が焼香やくぐり初めを行った。
完全再現された山門は高さ5メートルで、修復された仁王像を両わきにまつっている。
再建を望む信者らの強い要望などで、3年半かけて完成した。
これを機に十二支の守り本尊「八体仏」を寄進され、同日併せて開眼供養を行った。
昭和30年前半まで残っていた同山門が赤塗りのため、慶雲寺は「赤門の寺」として知られていた。
戦前は武運長久を祈る兵士が、山門に鎮座していた仁王を度々参拝に訪れたという。
当山は今川家との関係が深く、寺紋は丸二引きである。
この紋は「引両紋」と呼ばれ、もともと幕の文様であったが、転じて家紋や寺紋となった。
すなわち軍用は五布で出来ているもので、中を白くしその上下各一布を染めると四角に二引きとなる。
これが後、衣服に紋を付けるようになり文様化され、丸に二引きとなったと「日本紋章学」に記されている。
この本はさらに、次の様に記している。
この紋を用いた豪族には、新田、足利の両氏があるが新田氏が滅び、足利氏が大権を握ったため、その家紋である二引両はおのずと権威あるものとなり、その門はいうに及ばず、部下の諸将士にいたるまで競って用いた。
将軍家はもちろん吉良、渋河、石橋、斯波、細川、畠山、一色、山名、新田、大舘、仁木、今川、桃井の諸士が、いずれもこれを用いた。
二引両紋は将軍家から武功の士に贈与されたものであるから、後世、勲章のように重んぜられ、これを受けることは当時たいへんな光栄とされたので、足利氏の諸将は、多くこの二引両を複紋として用いたが、後世になると、ついに二引両を僣用して、家紋とするにいたった。
この紋章は将軍家の家紋として権威あるものであったから、これを用いる者も多かったが、徳川時代になると天下が平静になったため、家紋も概して衣服、調度の器具にのみ用いられる様になり、次第に変化して競って優美なものを用いるようになった。
引両のような簡単なものはまったく衰えてしまった。
二引両は足利氏の家紋であったが、将軍家の紋章であったというので、徳川氏も二引両紋を複紋としてさかんに用いた。
徳川氏は引両紋を将軍の紋章と認め、名誉ある家紋として扱ったのである。
また「細川記」には細川幽斎が将軍義昭からこれを賜わり「永禄記」には織田信長も義昭に賜ったと記されている。
「尾陽雑記」には、徳川氏が二引両紋を用いたのは足利氏以来将軍家の紋章として用いた慣例によるもの。
と記されている。
一、【 宗 派 】 臨済宗(禅宗)妙心寺派
一、【 宗 旨 】 お釈迦様の正法を相承れた初祖達磨大師、宗祖臨済禅師、さらに開山無相大師に及ぶ一流の禅を宗旨とする。
一、【 本 山 】 正法山妙心寺(京都花園)建武4年(1137年)花園法皇の勅願によって創建、開山無相大師の法流は4派に分れ、全国末寺に広がっている。
一、【 本 尊 】 釈迦牟尼世尊をひとしく大恩教主と仰いで尊崇し当寺は因縁により、阿弥陀如来をお祀りする。
一、【 経 典 】 お釈迦様の正法をじかに心に頂く宗旨、特に経典を一定にしないが、主に般若心経、大悲呪、観音経、座禅和讃、宗門安心章などをお誦みする。
一、【 教 義 】 自心仏であることを固く信じて座禅に励み、本当の自分に目覚め、どんな苦難にもくじけず常に足元をみつめてくらしを正し、生かされている自分を感謝しつつ世のため、人のためにつくす。
一、【 宗 風 】 宗門は僧俗ともに禅の安心を喜ぶ同信であり、開山無相大師の「請うその本を務めよ」、開基花園法皇の「報恩謝徳」のみ旨に体して実践する同行の教団である。
一、【 宗務機関 】 妙心寺派宗務本所(京都市右京区花園妙心寺町)